僕の母方の祖父は北朝鮮から脱北して日本に来た人なのですが、とても面白いじいちゃんだったので、今日はその思い出を書きたいと思います。
僕は子供の頃、場面緘黙で学校では口を利けなかったので、そのことをじいちゃんも心配していたようです。
なので僕はじいちゃんによくこんなことを言われました。
「ケン坊、学校行ったらもっと元気出して先生とか友達のキンタマ取って食っちゃえ!」
今はもはや笑い話として母や親戚の人に語っています。
それにしてもなぜ元気を出すことの例として他人の睾丸を取って食べるというカニバリズム行為をしなければならないのか、その発想が極めて荒唐無稽過ぎてまったく理解できません。
しかも、じいちゃんはそれを言った後でこう続けたことがあります。
「俺はいつも先生のキンタマを取って食ってたんだ。前田先生のキンタマが一番美味かった」
もちろんじいちゃんの創作です。
もし本当だったら連続カニバリズム事件として世間は大騒ぎになります。
しかも前田先生という個人名がどこから出て来たのでしょうか?
後、これは真面目な話ですが、じいちゃんは酒飲みだったので、こんなこともよく言われました。
「ケン坊、大人になったらじいちゃん酒飲もう〜って一升瓶持って来てくれ」
きっとじいちゃんは僕が初孫だったので僕と一緒にお酒を飲みたかったんでしょうね。
でも僕はとうとうこれは一度も実現してあげられないうちに、じいちゃんは亡くなってしまいました。
そして、じいちゃんは僕が高校受験をするときはに、合格するように毎日仏壇の前で拝んでくれていたと聞いています。
じいちゃんは病院に入院していて亡くなったのですが、一時外泊で自宅へ戻ることになったとき、僕が自分のクルマの運転して病院へじいちゃんを迎えに行って、じいちゃんを乗せて自宅へ連れて行きました。
僕はこのとき初めてじいちゃんのためになることをしてあげることができて嬉しかったです。
じいちゃんが亡くなってからもう30年以上経ちますが、今でも面白かったじいちゃんのことを懐かしく思い出すことができます。