僕は社会的ひきこもりを続けている弟がまったく理解できないどころか憤りを感じています。
でも僕はそんな自分を嫌だとは思わず、人間だからしょうがないんだ、これも自分の人間臭い部分なんだから別にいいんだと思うようにしています。
昔、デイケアに通っていたときに「ドクターズプログラム」というのがありました。
精神科の先生の話を聞いたり質問したりするプログラムです。
そのときの先生が「私は患者さんと喧嘩することがあるんですよ。人間だからしょうがないですよね」といいました。
精神科医というのは人の心を扱う仕事だし、人付き合いのスキルが求められると思うのですが、そういう人でさえそういう人間臭い部分があっても当然だと思うし、その先生が自分で言っているように人間だからしょうがないと僕も思います。
立川談志師匠は「落語とは人間の業の肯定である」と言いました。
人間の業とは人間の人間臭い部分だと思います。
つまり人間は皆、弱くて醜いものである。
したがって人間はあらゆる過ちを犯すし、すべての人間は心の中に悪が存在する。
自分もそういう人間のひとりなのだからしょうがないんだと諦念して生きてゆく。
それが自分という人間の業の肯定だと思います。
ということは他人の業も肯定しなければなりません。
僕は弟の心の弱さも認め許さなければならないのかもしれませんが、そんなことは嫌なこった!です。
つまり自分の心の弱さを棚に上げて弟を憎み続けるということです。
これも僕が人間だからしょうがないし、僕という人間の業です。
人間なんてララーラーララララーラー♪
この歌を歌った吉田拓郎さんの気持ちが今わかったような気がします。