まず僕の父がバカであると判断できる事例をお教えします。
昔、家でインコを飼っていたのですが、そのインコが入っている鳥籠に止まり木がついてなかったので、父が長い止まり木を買って来てその止まり木を切ったのですが、父はバカなので鳥籠の幅ピッタリの長さで切ってしまったのです。
したがってその止まり木を鳥籠に装着しようとした際に当然ですが、引っかからないのでスルッと下に落ちてしまったのです。
父はそのとき「あれっ!」と発しました。
普通に知能がある人間なら止まり木を切る際に鳥籠の幅より数ミリ長く切らなければ引っかからないと先が予測できますが、父はバカなので失敗してしまってから初めて気づくのです。
しかも父は大工です。大工のくせにそんなことも分からないなんて信じられません。
なので父は止まり木の両端に釘を打って鳥籠に装着したのですが、そうしたら鳥が止まり木に止まったら止まり木がクルクルクルクル回って鳥が玉乗りをしているような状態になってしまいました。
鳥は頭のいい動物なので低能人間である父は鳥に謝るべきです。
第一、先が予測できる人間なら止まり木の両端に釘を打つなどという苦労はしなくて済むのです。
バカは余計な苦労をしなければならないのです。
次に僕の母がバカであると判断できる事例をお教えします。
昔、僕が子供の頃に買って来た「天才バカボン」のコミック本が読んでいるうちにページがポロポロ取れてしまったので、僕がセロテープを貼って直していたら母が手伝ってくれたのですが、そのとき母はこう発言しました。
「わあ〜こんなマンガ本なんか直すのバカバカしい」
普通に知能と常識のある人間なら「こういう場合は出版社に送れば取り替えてくれるんだよ」と子供に教えるはずです。
この事例でも分かるように母もバカであるが故に息子と一緒になって苦労をしているわけです。
この2つの事例で分かるように親がバカだと、子供は行動を起こす前にまず考えるという生活習慣が身につかず、何か困った事態が発生した際にどう対処すればよいかという知識も得られません。
つまりバカな親は自分がバカなので、子供が人生のあらゆる局面において適切に判断して乗り越えていけるような人間に育てることができないので子供も不幸になります。
え!?それなら子供のうちから賢い友達を作ればいいって?
たしかにそれは一理ありますが、人間が生まれて最初に出会うのは親です。
親がバカだと子供の幼児期の脳の発達段階に置いて悪影響を及ぼし、精神遅滞になる恐れがあります。
バカは自分がバカであるときちんと自覚して本を読んだりして知識と教養を身につけるべきです。
僕の母は学がないので、東日本大震災が発生して福島原発事故のニュースが報道されて初めて世の中に原子力発電というものがあると知ったくらいですから。
母はニュースを見て「これなに?なにが起きてるの?」と言ったので僕が教えてやったのです。
学校で何をやっていたのでしょうか?授業中に寝ていたのでしょうか?
父に至っては字の読み書きもできないので話になりません。
それでも父は運転免許をもっているので、なぜ取得できたのかまったく謎です。
最後にこの言葉で今日の日記を締め括りたいと思います。
―無知は罪である― ソクラテス