僕が死のうと思ったのは
精神科デイケアで生まれて初めて友達ができて一緒にいろんなところに遊びに行ったから
僕が死のうと思ったのは
長年苦しんだうつ病が治ったから
僕が死のうと思ったのは
働いていたシイタケ農園で買ったシイタケをしょうゆとバターで炒めてお母さんに食べさせてあげたら「美味しい」と言ってくれたから
僕が死のうと思ったのは
種をまいた朝顔がちゃんと綺麗な花を咲かせてくれたから
僕が死のうと思ったのは
久しぶりに小さなジグソーパズルを買って来てやってみたら子供の頃に帰ったみたいで楽しかったから
僕が死のうと思ったのは
お金がなくなってもクレジットカードで買い物ができて好きな映画をたくさん観られたから
僕が死のうと思ったのは
すっかりボケてしまったお母さんがとても可愛くて愛おしいから
僕が死のうと思ったのは
小さな幸せがたくさんあってもう思い残すことはなにもないと思ったから
僕が死のうと思ったのは
とてもとても生きるのに真面目で
とてもとても生きるのが下手だから
〈解説〉
今日、狭山市市民会館へ中島美嘉コンサートを見に行って来ました。
美嘉ちゃんはたくさんの歌を歌ってくれてどの歌も素晴らしかったのですがその中の「僕が死のうと思ったのは」という歌がとても哀しくて涙が出ました。
そこで僕は自分バージョンの「僕が死のうと思ったのは」という詩を書いてみたのです。
僕はうつ病を苦にして数多の自殺未遂を繰り返してきました。
常に死を意識して生きて来たし今でも死にたいと思っています。
はたしてこの詩は僕の遺書なのか自殺予告なのか、そのへんの解釈はこの詩の読んでいただけたみなさんにおまかせします。