おむぅの日記

主に今日の出来事、フィギュアやドールのこと、映画の感想、ひとり日帰り小旅行などを綴ります。そして時折知ったかぶりもコキます。

脳死について

映画「人魚の眠る家」を観ました。

この映画は娘がプールの事故で脳死状態になったが、どうしても娘の死が受けられない母親のある意味狂気といってもいいほどの心理を描いた作品です。

というのはこの母親の旦那が技術者で会社の社長で部下の技術者が脳死した人間の筋肉を機械で動かす研究をしていて、この部下がこの脳死した娘を自分の技術で筋肉を動かすことができるようにします。

この母親は脳死した娘を在宅介護していて機械で身体を動かしたりしていて、娘が生きていることにして、特別支援学校に入学させたり、人を呼んで娘の誕生日を祝ったりします。

しかし最後には娘の死を受け入れて臓器移植に同意します。

脳死の問題は非常に難しい哲学的な問題だと思いますが、今日はこの映画を観て僕の脳死について思うことを述べたいと思います。

まず、ご存知の通り脳死とは脳が死んでいて心臓が動いている状態です。

さて、脳が死んでいるとはどういうことでしょうか。

僕が思うにたぶん脳から霊魂が離れていっているということだと思います。

ただ霊というのは現代の科学では解明されていない解らない世界の話です。

でも以前テレビで脳科学者が人間の脳の前頭葉に神とか霊が宿るんだと言いました。

僕は脳科学が霊についても研究しているかどうかも、しているとしたらどこまで解っているかどうかも知りません。

しかし脳科学が進歩して霊というものが解明されて、脳死とは脳から霊魂が分離していっている状態であり、すなわち人の死であるとはっきり言い切れるようになれば脳死問題は一気に解決するのではないでしょうか。

そうすれば医師は脳死した患者の遺族に「お子さんは大脳の前頭葉から霊魂が分離していって天国へ召されました」と言えば遺族はすんなり子供の死が受け入れられるのではないでしょうか。

もっとも現代の科学では脳に霊が宿っているかなんてことはわからないし、そうだとしてもそれを脳波や頭部画像撮影で確認することもできないわけです。

どんなに科学が進歩しても霊の世界だけは永遠に解明するのは無理かもしれませんね。