自殺をする人には2つの特徴があります。
1つは短気だということです。
たとえば、うつ病が辛くて自殺をしようとしている人がいるとします。
この人は、うつ病の治療は受けているとします。
つまり薬は飲んでいるのだから、今はまだうつ病が治っていなくて辛いかも知れないけど、もう少し我慢すれば治るかも知れません。
そう考えずにもう一生治らないと決めつけて死を選ぶ人は短気なんです。
短気というと怒りっぽいというイメージがありますが、我慢ができなかったり、結論をすぐに出してしまう人も短気なんです。
短気は損気といいますね。
つまり短気を起こして自殺という自分に損なことをしてしまうのです。
そして自殺をする人の2つ目の特徴は、認知のゆがみがあるということです。
前述したように自分のうつ病はもう一生治らないと早急に決めつけるのは、短気であると同時に認知のゆがみがある証拠なのです。
自分のうつ病は治らないという根拠のない考えに囚われていて、治る可能性があると考えられなくなっています。
まさに認知のゆがみ以外の何者でもありません。
認知のゆがみというのは、簡単にいうと考え方が偏っているということです。
もうひとつ例を出します。
失恋をして自殺をしようとしている人がいるとします。
この人は自分はもう一生失恋のショックから立ち直れないし、あの人がいない人生はもう自分の人生ではないと考えています。
でも失恋の心の傷は時間が経てば癒えます。時間が解決してくれます。
そしてまた新しい出逢いがあります。
そう考えられずに絶望して短絡的に死しか選択肢がないと考えるのは、短気であり認知にゆがみがあるのです。
それでは最後にもうひとつ例を出します。
いじめを苦にして自殺をしようとしている子がいるとします。
いじめられるのが嫌なら学校なんか行かなければいいんです。
でもこの子は学校は必ず行かなければいけないと思っていて、自分が学校ヘ行かなくなると親が悲しむと思っています。
つまり学校にも家にも自分の居場所がないので、もう死ぬしかないと考えてしまっています。
とても可哀想で無理もないことです。
でも子供にこんなことを言うのは酷ですが、視野が狭くなっていて考え方が偏ってしまっています。
それは、いじめられて心が、かじかんでしまっているのが原因です。
そういうときは子供は親に正直に「いじめられているから学校ヘ行きたくない」とSOSを発して、親は「じゃあ行かなくていいよ」と言ってあげて、ゆっくり家で心を安めて、学校ヘ行くだけが人生じゃないし人生は親のためじゃなくて自分のための人生なんだから自分のために生きていいんだと考え方を楽にすればいいんです。
まあ、高校生にもなればこういうことは自分で悟れると思いますが、それ以下の子供も含めて親がアドバイスしてあげればいいと思います。
以上、自殺をする人には短気であるということと認知のゆがみ(考え方の偏りと視野狭窄)という2つの特徴があるという僕の私見を述べさせていただきました。
短気というのは我慢ができず、結論の出し方が早すぎるという心の傾向です。
我慢というのは何も一生我慢しなければならないわけではありません。
ちょっと我慢すれば我慢しなければならない事柄が勝手に過ぎ去るケースが多いです。
したがって人生であらゆる困難に直面したときは、ちょっと我慢しながら幅広くものを見てバランス良くものを考えるクセをつければいいと思います。
そうすれば自殺なんていう愚にもつかない発想は絶対出なくなると思います。
そして自分の問題を自分で解決できるようになるということは自分を幸福にする力が身につくということだと思います。
人間は幸福になる権利があるのはなく幸福になる義務があるのだと思います。
それは人はひとりで生きているわけではないからです。
だって、あなたは不幸だけど私は幸福ですなんてことはあり得ないじゃないですか。
逆に言えば自分が幸福でなければ自分のまわりの人も幸福ではないということですからね。
すいません、知ったかぶりと偉そうなことばかりほざいて、あまつさえ善人ぶってしまいました。反省します。